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仮面講座3
  1.  
  2. 1.四角形の目に驚く

 ネパールの仮面と思われる左側の仮面(画面の写真参照)を、ある骨董市でネパール人の骨董屋から買うことを勧められたときは、さすがに驚いたというか珍しい仮面を見たというか、何か複雑な気持ちになったことを今でも憶えている。パッと見た感じはたいして変わり映えしない仮面であるが、よくみると目も口も単純な四角形であるにも関わらず、何かクールで少し哀しげな表情をしていたからである。聞くところによると、ネパールの仮面のほとんどは神仏と深く関係しており、神仏の依代面としての役割を担っているといわれる。あのきびしい自然環境の中できびしい生活を送っているネパールの人々にとって、神仏への祈りだけが救いの道ともいわれている。神仏の世界にすこしでも願いや祈りが届くように、その媒介となる仮面が造られる。したがって、それらの仮面には、ネパールの人々の願いや苦しみや涙や祈りが沁み込んでいるといっても過言ではないのだ。そういう仮面の眼や口がどうしてこのように単純な四角形なのだろうか。そのような思いが頭をよぎり、そのずっしりと重い木製の仮面を両手に持って真近かに見つめていると、正直驚きすごい仮面だなあと感心した。しかし骨董屋には何らそういう素振りも見せず、すぐさま有り金をはたいてこの仮面を購入したというわけである。
もう一つの右側の仮面(画面の写真参照)も同じくネパールの仮面である。この仮面は、左側の仮面を手に入れてから10年ぐらい後に購入したものである。この仮面は横に細長い長方形の眼をしている。この仮面は、鼻も非常に単純な幾何学形体であるが、独特の複雑な表情をしている。単純な正方形や長方形の眼をしているネパールの仮面はそう多くはないと思われるが、神仏が降臨してくる仮面の眼として、いいかえれば神仏の顔として、どうしてこのような形にしようと思ったのだろうか。

  1. 2.抽象化ということ

 20世紀にはいって、美術作品における具象的描写から象徴化・抽象化への脱皮が始まった。絵画においては、セザンヌやゴッホなどの新印象主義の作品を皮切りに、象徴的・抽象的表現へ向かってフォービズムやキュービズムなど様々な表現主義の美術が出現した。そしてついには、モンドリアンやカンデンスキーの絵画のように完全な幾何学形態だけの抽象絵画が出現するに至った。人間の顔や姿自体もさまざまに象徴的・抽象的に表現することも行われたが、目や口を完全な幾何学形態だけで表現している事例はそれほど多くはない。近代絵画の当初においては、ミロに見られるような黒丸だけの単純な円形の眼はあったとしても、四角形や三角形だけで目を表現している例は殆どない。私の知っている限りでは、バウハウスのクレーやシュレマーにその事例を見ることができる。たとえばクレーに「ムッシュー・ベルレンシュヴァイン 1925」という作品があるが、ネパールの仮面のような深いすごい表情は描写されていない。

  1. 3.表現としての幾何学形態は、はるか昔からあったのか

 私はかっては、美術などの具象的表現が、古代ギリシャや古代エジプトの古き時代から始まり、長い歴史を経てようやく近代になって象徴的・抽象的表現が現れ、その表現形式のなかにさまざまな幾何学形体が入ってきたと思っていた。しかし、アフリカの未開部族の仮面やネパールの仮面を見る時、その仮面に大胆な幾何学形体が導入され表現されていることに驚く。しかもその表現形式は、長い歴史の中で純化されてきたというより、それぞれの部族の信じる土着のあるいは村々の神々のために、芸術とは無縁な村の人々がいとも簡単に造形してきたようにも思える。その上、近代美術が長い歴史を経てその表現を手に入れたのとは異なり、それらの造形はいつ始まったかわからないくらい、はるか昔のことのようにも思われるのである。かれらの造形力の斬新さに驚くととともに、人類の文化や芸術の進化や発展とは一体何なのだろうかという疑問さえ湧いてくるのである。ただ単純に西欧の美術史だけを尺度にして、人類全体の文化を見ていてはいけないということなのかもしれない。人類は、世界各地ではるか昔から西欧とは異なったすごい造形を作りだしていたのだということを、民族仮面を収集していてあらためて感じるのである。

ちょっと熱い講座になってしまったが、仮面と相対していると、このようなこともいろいろと思いめぐらして楽しむということなのでしょう。もちろん目が四角だけでここまで考えることは、すこしオーバーであると思われるが、本当に民俗仮面は面白いよ!