- 1. 人間と鳥
頭上に鳥が止まっているという仮面が気になるまで、私はほとんど鳥に強い興味を持っていなかった。昔から、人間は自由に空を飛ぶ鳥に、憧れというか不思議な魅力を感じてきたことは、確かなことであり、バードウオッチングを楽しむ人が多いことも、よく耳にはしていたが、世の中いろんな人がいるもんだ、という具合にしか思っていなかった。
鳥は、恐竜の時代の唯一の生き残りであるにもかかわらず、様々な美しい姿にも変身し、カラスやすずめのように人間社会の中でたくましく生き抜いている鳥のことを考えると、我々が考えている以上に、鳥は優れたたくましい存在なのかもしれない。飛んでいるときも、止まっているときも、鳴いているときも、その多様さと美しさには、何かすごさすら感じられる。アフリカの未開部族の人々が、本能的に鳥に畏敬の念を持ち神秘性を感じていたとしても、何も不思議なことではない。イースター島の昔の人々には、グンカンドリが自分たちの祖先と考えていたという鳥人伝説がある。
中島みゆき作詞作曲の「この空を飛べたら」という歌を、ご存知だろうか。加藤登紀子が歌って、かなりヒットした歌なのだが、その一節にこんな印象的な歌詞がある。
――ああ、人は、昔々、鳥だったのかもしれないね。
こんなにも、こんなにも、空が恋しい。
- 2. 犀鳥(サイチョウ)
皆さんは、サイチョウという鳥をご存知だろうか。知っている方は、日本では何十万人に一人ぐらいと推測されるが。私は、長い人生で、この仮面を考えるまでサイチョウのサも知らなかった。その上、この鳥を研究している世界的権威者の一人が日本におられる(北村俊平先生)のを知って、さらに驚いたのである。
サイチョウは、体長がオスは130㎝ほど、メスは90㎝ほどで、大きな長い嘴を持っており、その嘴の上にはかぶと状の角質突起(カスクと呼ばれる)を持つ。高い大木の穴を巣穴にして、メスはその巣穴に卵を産み子育てをする。その鳴き声はラッパのように森に響くらしい。
アフリカの赤道直下にある熱帯雨林の地域では、たくさんの部族がそれぞれテリトリーを作って生活している。それぞれの部族は、森の中に住む動物の中で、蛇やトカゲやアンテロープなど部族によって異なるが、様々な動物に豊饒の象徴と強い神性を感じて、まさに土着の神の化身としてきた動物も多い。鳥についても、フクロウやハトなど様々な鳥に神性を感じてきたが、「犀鳥」は特に、その代表的な鳥のひとつである。サイチョウは、アフリカだけでなくインドネシアでも森の神と思われていた鳥である。
上に示した3つの仮面は、いずれも仮面の頭上にサイチョウが乗っており、右はセヌフォ族の仮面で、左はヤウレ族の仮面である。これらの部族は、コートジボアール国に属している。右側のセヌフォ族の仮面はサイチョウの姿をより明確にみるために最近購入した仮面で、現地で売っている「ツーリストアート」ではないかと思われる。真ん中の仮面もセヌフォの仮面であるが、これは古い仮面でボロボロで、頭上の鳥はサイチョウかどうかはっきりとわからない。これらの仮面に共通してユニークなところは、サイチョウが仮面の頭上に止まって、さらに仮面の額(おでこ)にくちばし(嘴)をブスッと刺している点にある。
小川弘著『アフリカのかたち』という本によると、セヌフォ族にはボロと呼ばれる秘密結社があり、その結社の人々が神聖な森に安置するために、1m~2mにもなる巨大な怪鳥「カラオ」と呼ばれるサイチョウの木彫を作る。カラオが人類(その部族)の最初の祖先であるためらしい。セヌフォ族にとって、サイチョウはまさに森の神(精霊)であり、その部族の神の化身ともいえる神聖な鳥なのである。ちなみに、このセヌフォ族・ヤウレ族以外にもこの国に住むボロ族などの部族でも、サイチョウが頭上に乗っている仮面が多く作られている。
- 3. 一つの疑問
サイチョウが森の神(精霊)あるいはその神の使いであり、ひいてはその森に棲む部族の神やその使いであるとしたら、様々な儀式や祭りに使われるその部族の仮面にサイチョウが飛び降りてきて、その仮面の頭上に乗った姿を仮面として作ることは、何ら不思議なことではない。ただ、上に示した2つの仮面は、頭上に降りたサイチョウが、くちばしをその仮面の額(おでこ)に突き刺している点が気にかかる。もちろん、突き刺していない仮面も存在するが、突き刺している仮面も結構多く見受けられる。なぜ突き刺しているだろうか、というのが一番の疑問である。頭上に止まったサイチョウは、ただ止まっているだけでなく、またおでこをふざけて突っついているわけでもない。いったい何をしているのだろうか。いろいろ調べてみたがわからないので、私の仮面のサイチョウたちにちょっと聞いてみたくなった。
― どうして、仮面の頭上に止まったの?
― 森の神様の命令さ。
― どうして、嘴を仮面のおでこに突き刺しているの ?
― 神様のお告げを、仮面をかぶっている人にしっかり伝えるためさ。
― どういうお告げなんだね?
― それは秘密さ。
- 4. 生存のサイクル
鬱蒼とした熱帯雨林の閉じた森の中で、各部族の生活があり、それを取り巻く森があり、その森にはそれぞれ土着の神がいて、その神の使いとしてのサイチョウがいて、そのサイチョウが神のお告げを、仮面を付けている人(主に酋長や呪術師やそれに近い地位の人)に伝え、森に帰っていく。そのお告げをもとにして、その部族の昔からの森の生活が守られ延々と営まれてきた。昔からずっと、そういう輪廻ともいうべき生存のサイクルがあったのではなかろうか。このように考えていくと、閉じた森のなかでの部族の生存のサイクルの一環として、頭上にサイチョウを付けた仮面は、その部族にとっては非常に重要な存在だったのだろうと想像される。
アフリカには、頭上に人間の子供や様々な動物が乗っている仮面がある。しかし、このサイチョウのように、頭上で仮面に対して何やら不思議な特別な行為をしている仮面は珍しい。そういう重要な行為について、いつもながら今回も、民俗学的分析とはかけ離れた我流の楽しい想像をしてしまい、申し訳ない気もしている。ただ、サイチョウという珍しい鳥がいて、仮面と深い関係にあることが分かっただけでも、今回は収穫といわねばならないだろう。